![]() |
| ようこそ私のページに遊びに来てくださってありがとうございます。 私は以前普通のお母さんで普通の保育園の先生だったんです。 でも夢がありました。その夢を持ち続けて生き来ました。 苦しい時もいっぱいありました。 負けそうになった時も、 突然の病気で車椅子生活の時もありました。 でもどんな時でも夢を捨てませんでした。 女性だって何か出来る。 女性にしか出来ないこともきっとある!! 一生に一回切りの人生だから 後悔するような人生だけはおくりたくなかったのです。 だから無我夢中で生きてきました。 何億もの借金を背負い多くのプレッシャーにも戦ってきました。 こびとの森をはじめてもう直ぐ12年になろうとしています。 この頃ふっとこびとの森と私の人生を 振り返る時間が持てるようになりました。 何か最近安らぎがほしくなってきました。 私は那須高原に居られない時間が多いですが、 これからも皆さんがこびとの森を愛していただけるよう 本音でこのページを作りました。 ぜひ読んでご意見など寄せて下さい。 |
| 私の経歴・・・・・・・・ | 私はこびとの森のオーナーの川村さちこ(SACHIKO、KAWAMURA、BANGS)です。 1959年新潟県で 生まれ東京で育ちました。 東京の高校を卒業した後独学にて保育士の資格を取得しました。 東京都の保育園で10年保育士として多くの子どもたちと過ごして来ました。 (東京都葛飾区私立さくらんぼ保育園、江東区大島第4保育園、葛飾区 南堀切保育園など) 平成2年4月那須高原の自然の中に「ファミリーペンションこびとの森」を開業。 平成4年8月同じ那須高原に第2施設、「ファミリーコテージ館」を開業。 平成8年2月那須高原に日本初のキンダーホテル「チャイルドリゾート王国こびとの森」を開業。 平成8年10月「栃木県女性の海外研修団員」としてニュージーランド、オーストラリアに福祉、教育、 環境、女性の自立等の視察に出発。 平成11年9月厳しい挑戦の末「大型自動車第2種免許」を取得する。 平成12年11月山と渓谷社より「泣いて、笑って、ペンション建てて」を出版する。 平成14年1月「こびとの森INグアム」を開業。 |
| 趣 味・・・・・・・・・・ | スキュバーダイビングで世界中の海に潜ることです。 今までにモルジュブ、オーストラリア、サイパン、グアム、スールー海、パラオ、トラック、プーケット等とダイビング して来ました。 特に2001年6月15日には、世界で初めてのマッコウクジラの出産に立ち会った唯一の日本人ダイバー?? なのです。とても感動でした。 平成15年2月には「ダイブマスターの認定をうけました。(プロダイバーの第1歩) これからも世界中の海にチャレンジして行きたいと思っています。 |
| 好きな食べ物・・・・・ | 御寿司、ケーキ、ステーキ、その他何でもあまり好き嫌いはありません。 |
| 住んでいる所・・・・・ | 那須高原とグアムの半々の生活です。 那須高原の家は高原の木立の中に立つ1番最初に誕生したこびとの森を自宅として住んでいます。グアムはピンク色のおしゃれなコンドでプールがあります。 グアムに来たら ぜひ遊びに来てください。ホームスティーもOKです。 |
| 私のプライベート・・ | 2人の娘とアメリカ人の夫がおります。今の夫とは再婚です。 1回目の結婚では苦労しました。もう2度と結婚するもんか。と思うほどに辛かったです。 でも今では笑って過去を振り返られるようになりました。 「酒、賭け事、女」と3拍子そろった男でした。女は悪で私の元部下でした(こびとの森の保母)。 私が一生懸命頑張っていたら2人で勝手なことしてたんです。 2人そろって 最低な人間ですよね。 えーくそー!!とばかり「離婚」という形で勇気を持って1歩前に 踏み出したのでした。 人間って頑張っていれば神様が必ずごほうびくれるんですね。 苦しかった分、新しい出会いをくれました。今の夫は私のダイビングの先生でした。プロの水中カメラマンでもあります。これからふたりで海の中の素晴らしい世界、そして感動をそこに行く事の出来ない人たちに伝えていきたいのです。 一生掛けて2人で世界中の海にチャレンジです。 もし、今 同じような事で苦しんでいる女性がいたら勇気を持って1歩踏み出してほしいのです。 きっと幸せが待っていますよ。 頑張れ!!! |
| 愛 車・・・・・・・・・・ | とうとう女だてらに大型2種免許まで取得して、愛車はというと トヨタのコースター?(こびとの森号のバス)とラウンドクルーザーです。 もう直ぐグアムの免許も取得しなければなりません。頑張りマース。 |
| 休 日・・・・・・・・・・ | たまに取れる休日は日本にいたら温泉と美味しいもの食べに行く。 グアムではやはり夫と一緒にダイビングです。 |
| 好きな言葉・・・・・・・ | 「1度きりの人生、大切に生きて行きます。」 「チャレンジ」 |
| 過去の私の闘病・・ | 11年前、左肺に穴が開きました。背中を大きく切り開いて肺の穴を塞ぎました。 1ケ月間車椅子で歩くことも出来なかったです。その時に生きることについてたくさん学びました。 5年前、左卵巣を全摘出と右卵巣を半分を摘出しました。この時に女性の臓器を失う事に悩みました。でもその後大切なものを失った分、もっと内面からきらきらと輝ける女性になりたい。と思えるようになりました。その為には自分自身をもっと磨くことに気が付きました。 今、闘病中の貴方へ失うものがあってもそれ以上の何かを学び強く生きて行きましょう。 |
|
★9.18幸せになる為の競売 平成15年9月18日は私にとって忘れることの出来ない日となりました。上記に書かれてある元夫との離婚のイザコザの中に今私の住んでいる自宅(元こびとの森のペンションだった所)が競売とういう事態になっていたのです。 家も土地も半分ずつの名義な為に元夫が「残りの借金はさちこが返せその他に1億をくれればこの家は売ってやる。」と非常識な回答に 私に残された道はただ1つ競売で買い戻すことだけだったのです。 最低入札価格800万弱に対して2割を裁判所に支払い競売に参加しました。 全てが私にとって初めてな事だけに 不安いっぱいの日々が過ぎていきました。 多くの業者が家の中を見せてくれとやってくる日々でした。 その度に「この家は私が買い戻しますのでお帰り下さい。」と断り続けました。 いよいよ運命の日。私は裁判所へ1番のりで向かいました。 とても静かでした。誰もいない開札室、不気味な静けさの中、開札15分前ともなると続々と人がやってきます。10:00AMには席もなくなり多くの人々が立っていました。 私の心の中は不安いっぱいの中、競売開札が始まりました。 ただひたすら自分の事件番号が読み上げられるのを待ちました。 「14ケの220号」来た〜!という思いでした。 入札者の金額の安い人から読み上げられました。そして母の名が最後に読み上げられました。 (私の名前では入札出来なかったので母の名前で入札しました。) 私の入札金額は15,000,777円(祈りのラッキーセブン!)2位との差はダントツでした。 やった!!これで晴れて安心して暮らせる。 もう元夫からこれは俺の物だ!なんて言われなくってすむ。 世の中では「競売」と聞くと悪夢のイメージでしょうが 私にとっては「幸せになる為の競売」だったんです。 心配で付いてきてくれた今の夫が決まった瞬間私の手を握り締めて、がんばったねってエールを投げかけてくれました。母の目には涙が滲んでいました。 そして・・・大切なこびとの森のスタートの地が晴れて私の元に戻ってきました。 これからの人生にもきっと多くの試練が待っていることでしょう。 でも周りの人々に支えられながら感謝しながら生きていきます。 ありがとう!! |
| 平成15年10月吉日 さちこ |
| << home | >> close << | up▲ |